原水爆禁止世界大会へ参加
8月7日、長崎県で原水爆禁止世界大会が開催され、奈良民医連からは15名が参加しました。前日から、大阪 南港からフェリーで福岡県の新門司港に向かい、バスで長崎へ向かいました。
原水爆禁止世界大会は、1945年8月6日に広島、9日に長崎へ原爆が投下され、その年のうちに約21万人もの尊い命が奪われたことをはじめ、1954年3月1日、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験による被災事件をきっかけに、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国で取り組まれるようになり、原水爆禁止を求める大きな国民の声を背景に1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌年には、長崎で第2回が開かれて以来毎年、世界の人々と連帯して世界大会が開催されるようになったものです。
今回は、まず長崎市平和公園で、千羽鶴の奉納を行い、その後、長崎原爆資料館の観覧をしました。原爆の悲惨さを伝える展示や、被ばくの実相についての資料、近年新たに寄贈された展示物のコーナーなどもあり、「原爆の被害は未だに明らかになっていないことが多くある」とされていて、学びを深めていかなければならないと実感する内容になっていました。
長崎での、世界大会の始まりになる「長崎のつどい」では被爆体験の継承と未来をテーマにして、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の田中煕巳さんから、13歳のときの自宅での被爆体験と戦争体験が語られ、核兵器禁止条約への参加を、世界中の国へ求める訴えがされました。貴重な動画や写真で長崎原爆の実相をふりかえる企画として被爆者運動の歴史についても紹介されていました。直接の被爆体験を持つ方は現在80歳以上で、もう当事者が訴えをしていける時代ではないことを考えると、こうした形での継承が今後より重要になってきます。亡くなられた被爆者の半生を、高校生が朗読、合唱、演奏と共に紹介する企画も行われ、私たちが運動を継承していくことが明示されていました。
8月8日は分科会が行われ、平和運動、気候危機・エネルギー問題と原発、佐世保基地見学、被爆遺構めぐりなど、各参加者が、様々な視点からの学習をしてきました。
8月9日のナガサキデー集会では、被団協の田中重光さんのあいさつに始まり、エジプト、ベルギー、イギリスなど各国から核廃絶・平和運動への連帯のメッセージが話されました。今年は広島も含め、全体では延べ1万2930人が参加したとのことです。外国からの参加者も多く見られました。これだけ多くの人が核廃絶・平和について関心を持っているということが肌で感じられる世界大会でした。
原水爆禁止 国際会議宣言では、「核戦争阻止と核兵器廃絶を求める壮大な行動を展開するよう世界によびかける。」とされています。田中重光さんのあいさつの中で「核兵器は人間として生きることも、(人間らしく)死ぬことも否定する。」と言っていたのが心に残っています。なにより人命と人権を大切にする私たちは、さらに核廃絶と平和運動を進めていかなくてはならないと思わせてくれる言葉でした。